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2018年12月21日

フアニとロンガ その4

前回まで

「ギィ、あんた、どうかしてるよ」
隣人のイエンスは言った。

牛の種付け時期を相談しにやって来た折のことである。
「あいつは・・・人喰いの野獣じゃないか! あんな魔物を家畜囲いの中に入れるなんて!」
「あいつのことなら、ロンガと呼んでやってくれ」
ギィは笑って応じた。
「先週、お前の所の鶏小屋に押し入ろうとしたキツネを追い散らしたのは、あいつの仕事だ」

しかしイエンは絶句したまま目玉を剥いた。
囲いの中で、人喰い野獣がギィの娘を追いかけているではないか! 
逃げ回るフアニの悲鳴は、なぜか笑い声のように聞こえた。
「心配するな、イエンス。あいつは子供好きだ。お前が思っているのとは逆の意味で」
ギィは幼馴染みの肩を叩いて言った。
「今年の『夏至の祭り』に、余興として連れて行こうかと考えているんだ。きっと子供たちが喜ぶだろう」

ここで言う『夏至の祭り』とは、正確を期するなら『夏至過ぎの祭り』と呼ぶべきもので、通常は夏至の日の翌々日、正午から日没にかけて開かれる。

そもそもの起源を辿れば、正しく夏至の宵に、一年で最も美しい季節を祝う行事であったとする説が有力なのだが、遠い過去のある年、野獣に奪い去られた幼児たちを悼んで執り行われる、弔いの儀式に変わった。

当日は村の広場に会場が設けられ、各家庭から持ち寄られた祭り用の料理や焼き菓子が供される。
日没前から篝火が焚かれ、青年たちが楽器を奏で、娘たちが村に伝わる民謡を歌い、人々は祈りを捧げ、奪われた小さな魂を慰める。
子供を守ろうとして犠牲となった者には追悼の辞が寄せられ、民謡に歌われる名前が少し増える。

しかし、こうした催しが行われるのは数十年に一度のことであり、必ずしも定期的なものではない。
平年の『夏至の祭り』は、無事に夏至をやり過ごせたことを皆で祝う祭りとなる。

御馳走の内容はほぼ同じだが、歌われる民謡が明るい調子を帯びる。
子供たちはお菓子を食べ放題だ。最も気難しく最も厳しい親でさえ、この日ばかりは全力で我が子を甘やかす。
幼児たちは遊戯に興じ、矢を用いた的当てのゲームが披露され、大人たちはパートナーと踊り、村人たちは涼やかな夕暮れのひとときを楽しむ。

花火が打ち上るわけでも、どんちゃん騒ぎをするわけでもない、まったく地味な祭りではあるが、村人たちはこの風習を大切にしていた。

さて、それにしてもギィは一人勝手に物事を進める男ではない。
ほかの村人たちに事の次第を説明し、この後の判断を計る時期が来ていた。

村人の中には、この冬の間に自分たちの家畜がオオカミやキツネの被害を受けなかったのは、単なる幸運だけではないと感じていた者が何人もいたし、宵闇に遠くオオカミが仲間を呼ぶ声を感じた直後、白い影が草地を横切って行くのを目撃した者もいた。
影はあっという林の闇に消え、オオカミの遠吠えもぷっつり途絶えた。

こうした事実に加え、おおかたの村人はギィを信頼に足る男だと考えていた。
ギィの地所に集まった村人たちは、今まさに庭先でフアニと遊んでいるロンガの姿を遠巻きに眺めながら、各々(おのおの)意見を述べ合った。

ロンガを一種の家畜と認めても構わないではないか、羊や猫だって自らの特質に鑑みて家畜の道を選んだのだから、という見解に達した者が半数を占めた。
この前代未聞の事態をどう考えて良いのか分からないでいる者が一割。
あとは野獣の本性をあらわさないうちに殺した方が良いと主張する者が二割弱。
それに対して、やみくもに殺した後で祟りがあったらどうするんだという意見が僅差で優位となった。それはそうだと、ほとんどの者が頷いた。

祟りや呪いに配慮するのは、この時代人の良識である。

そもそも野獣を退治した話など、長い言い伝えの中に一度として登場しない。

ギィは自分の意見を差しはさむつもりはなかった。

そして友人たちが話し合うのを聞きながら、最初にロンガを見つけたあの時、即座に射殺(いころ)したとして、もしも近くに親の野獣が潜んでいたら、俺は今頃ここにはいなかっただろうな、などと考えていた。

やがて、それまで考え込んでいた村人が口を開いた。
「俺たちは野獣についてほとんど何も分かっていないと思わないか?」
ハンという名で、ギィの従兄に当たる年嵩の男である。
「前回の襲撃からすでに五十年以上が経過している。いつまた襲われても不思議じゃないのに、俺たちにできることは、家々の守りを固めることだけだ。俺たちは伝聞によってしか野獣の生態を知らない。」

真剣な表情で耳を傾ける村人たちに、ハンは庭の方を指し示して続けた。
「だが、あのロンガが突然変異の菜食主義だとしても、本当に野獣の仔であるなら、あいつを観察することによって奴らについて多少なりとも知識が得られるのではないか? その知識は、村の防衛に役立つかも知れない・・・俺はそう考えているんだ」

ロンガに不要な干渉はしない。
村人たちが達したのは、そういう結論だった。

ギィはそれが暫定的なものであることを充分認識していたから、皆に礼を述べた後で、こう言い添えた。
「この先、少しでも危険な兆候が見えた時には、必ず俺が始末するよ」
そして心の中で呟いた。その時が来たら、祟りが降りかかるのは俺一人の身の上だけであるよう、皆で祈ってくれ。

夏至の日を割り出すには、星を正しく読めるギィとハン、さらに農作業の暦を作る年配者数名が仕事にあたる。
そして夏至を挟んだ前後の三日間、男たちはそれぞれ得意の武器を手に、交代で夜警を務める。
祭りが夏至の翌々日に定められているのにはそれなりにいくつかの理由があるが、最後の当番に就いた者を休ませるためでもあった。

その年の『夏至の祭り』。ロンガは子供たちの人気者になった。

ギィは以前より数倍丈夫な縄をない、「切らないでくれよ」と話しかけながらロンガのハーネスにして、自身は弓矢を携えた。
ロンガはそれが自分を射るためのものではないと知っていた。
『体裁』というものを、言葉ではなくギィと暮らすことで理解していた。

なんにせよ、ギィは弓の名手である。祭りの場に彼が手ぶらでいたのでは、的当てのゲームが成り立たない。

ギィ一家が祭り広場に到着した途端に、ロンガは小さな子供や娘たちに取り囲まれた。

大型犬ほどに成長したロンガを、誰もが即座に「可愛い」と言い、ためらいもなく近づいた。
ホイップクリームのようなたてがみや胸の飾り毛も、ふっくらした胴回りに太い手足も、穏やかで堂々とした姿も、すべてが好ましく思えた。
丸い顔に丸い目、虹彩は柔らかな初夏の色を反映している。
瞳孔は明るい場所では細く縦長だったが、少女の一人がお祭りの菓子パンを差し出すと大きく丸く広がった。

大きな牙を見せまいとして口をしっかり閉じている様子は、はにかんでいるように見える。
「この子はロンガ。うちの子よ」フアニは誇らしげに言った。「撫でてみたい?」

ロンガが普段にも増して落ち着いていたので、ギィはロバの杭に引き綱を結わえ付け、ユェンとともに大人のグループに挨拶をしに行った。
子供たちの相手をしているロンガを見て、ハンは大笑いしていた。

子供たちは、代わるがわるロンガを撫でたり果物を与えたりして遊んでいたが、そのうちに度を超す者が出てきた。
イエンスの息子でフアニより数か月早くこの世に出てきたシャオが、ロンガの背中に乗ってやろうと思い立ったのである。

しかし背骨に沿った上毛は艶やかな直毛で、その下にねかせた鱗と相まって、何度よじ登ろうとしてもつるりと滑り落ちてしまう。
これを見て、年の割には大柄の男児ウーまでがこの遊びに加わった。
しかしこちらも思い通りには行かず、癇癪を起し始めた。
近くで見ていた少女がたしなめようとしたが、いたずら小僧たちは聞く耳を持たない。
何しろ今日は、多少のことで親から目玉を喰らわされる日ではない。
ついにシャオたちはロンガの頬ひげを引っ張り、角をつかんで顔からよじ登ろうとあがき、足蹴りを始めた。

ロンガはまったく気にせず、小僧たちのやりたいようにさせていた。
しかしフアニは堪りかねた。
「だめ、いじめるの、だめ!」そう叫んで、ロンガを庇うために最善と思える行動をとった。

つまり、かぼそい腕でシャオを力いっぱい押し退けたのである。
そしてロンガの首を抱きしめて宣言した。
「ロンガはフアニの!フアニのロンガよ!」

言い終わるとフアニは泣き出した。
じっと耐えているロンガが不憫でならなかった。

尻もちをついたシャオも、想定外の展開にビックリして泣き出した。
仲間のウーも泣き始め、それを見ていた幼児たちもつられて泣き出した。

子供たちの輪は、あっという間に泣き声の大合唱となり、数人の少女とロンガが手分けして皆をなだめる始末となった。
ロンガはシャオの頬をペロリとなめてやった。
するとロンガの持つ穏やかな波長が子供の心に伝わり、シャオは、自身の名誉をこれ以上貶めずに済ませるには、フアニとロンガに謝る以外の道はないと悟った。 

もう悪さはしないと誓うシャオに、フアニはコックリ頷いて、念を押した。
「フアニのロンガよ。優しくするのよ」

ロンガは子供のいたずらなど苦にならない。
ただ、フアニに抱きしめられてその言葉を聞いた時、無上の喜びに包まれるのを感じるのだった。

こうして「フアニのロンガ」は子供たちの友人になった。

そして大人たちは「ギィのとこのロンガ」を益獣と見なすことになったのである。

『夏至の祭り』は楽しい催しであったが、ギィ一家は大人たちのダンスが始まる頃、祭りの広場を後にした。
同様に幼い子供を持つ者たちは皆、子供が疲れてぐずり出す前に家路につくのが習慣だった。

何と言っても子供のための祭りなのだから、日暮れまで踊りを楽しむのは、子育て前の世代と子育てを終えた大人たちに任せておけば良いのだ。



ロンガは幸せだった。
自分は正しい選択をしたのだ。

ロンガは愛のない腹から生まれ落ち、それ故にこそ孤独を恐れたが、自我が形成される頃にはどういうわけかひとり荒れ野をさまよっていた。

深い森を通り抜けようとして疲れ果て、もう何もかも嫌になって泣き始めた時、ギィに出会った。

ギィからは紛れもない人間の男の匂いがした。
そこには勇気と憐みと、いまひとつ捉えどころのない不思議な匂いが入り混じっていたから、ロンガはこの男の決断に自分の命運を任せようと決めたのだ。

ところが、ギィの服の袖や胴のあたりには、この男のものではない匂いが嗅ぎ取れた。

その匂いを追ってギィについて行くと、フアニがいた。

野生のイチゴのような、甘く懐かしい匂いがするフアニ。
まるで自分が現れるのを待っていたかのようにロンガを受け入れたフアニ。
たとえ何があっても、自分は生涯フアニと一緒にいよう。
ロンガはそう思うのだった。


                     次回へ続く




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